騒動のその後

長期戦の様相。

まぁ仕方ないよね。

 

前回も書いたけど、ワクチンと治療薬がない。

見えないけど、外は嵐、暴風雨。

爆撃は始まっている。

 

個人的には、すでにココは宇宙で、お家が宇宙船とも言える。

 

外に出る時は船外活動だな。

確かにマスクと防護服が要る。

 

まぁこの慎ましい努力で、一時的に感染者数のグラフは下がるけど、「やったー」ってノリで防波堤下げても、外は暴風雨のまま。

 

あかん。扉閉めろ!

 

こんな調子で、緊急事態宣言が発令されたり、解除されたり… がダラダラと1年位続くんだろな。

 

うーんまるで戦時中のB29の空襲警報とそっくりだ。

 

つまりは…

①地球上からコロナウイルスが消えて無くなるか?

デスラーみたいに放射能を浴びてもokな体になるか?

③コロナに罹っても直ぐに治るシステムを構築するか?

④コロナから逃げ回るか?

 

どれか?だろね。

 

 

 

非生産な生産活動

人類の危機?

大げさかもだけど状況は日に日に悪くなる。

1〜2月頃、あれ?中国でおかしな事おこってるな。

これがあれよあれよと言う間に世界中にspreadしてしまった。

 

コロナ渦。

問題はワクチンと治療薬がない事。

意識づけ(手洗いとうがい)だけでは限界だ。

 

こうなったら運と民族の血と祈りしかない。

言い方変えると罹る人は罹る。罹らない人は罹らない。やることやったら深く考えない。最低限人には迷惑をかけない。等等。。

 

さて、

外出も制限されつつありコレは中々のしんどさ。

元来出たがり&お出かけ好きの自分からすると苦悶の毎日。

 

何故苦悶か?と言うと…

世間一般的に「移動は無意味な非生産活動だ(自分もそう認めているし認めていた)」が、実際その無意味な生産活動(移動=外出)をパタっと止めてしまった現在、本筋の生産活動がちっとも進まなくなったのである。

 

本筋の中身とは、仕事とか遊びとかランとか趣味諸々。生活全般。の事。その張りがない毎日。

 

仕事と遊び、の境目には一見無駄と思われる、空白の時間があったのだが、自分はそこでも生産活動をしていたと言う点。

歩きながら、走りながら、遊びながら、時には仕事しながら、他ごとを考えて、全体のバランスを保っていた。と言う点。

 

その縫い目がなくなったので、個々がバランバランで思考がなかなかまとまらない。

 

司令塔的な観点から言うと、俺の脳は飽きっぽく、目移りが激しく、かつ気分転換下手で、いつもおもちゃ箱の中の様で、そしてそのおもちゃは際限なく増えていき、面倒みているか?と言われると電池切れだったり、ネジ巻きが足りなかったりもして…

 

いかんいかん。

脱線気味だが、つまりは、その大量のおもちゃの間を有機的に縫う、そう一見ムダと思われる非生産活動(移動)がなくなっちゃったのである。

 

ジョグノの最後

ジョグノ200331ラストデイの転記

ーー

こんにちはお久しぶりです。
ジョグノラストデイって事で近況報告も兼ねて。

■はじめに
昨夜、先延ばしにしていたジョグノのデータDLを終えました。振り返ったところ、ジョグノとのお付き合いは5年(案外短いですね)。丁度、フルからウルトラへの移行期に開始し、昨年秋のワンイチで記載休止って感じでした。

■お礼
その間色々な方から刺激を受け、ここまでやってこれました。ジョグノがなければ今の自分はなかったと思います(マジで)。本当にありがとうございました。

■ここ2〜3ヶ月の自分
ランがなくなる訳でもないし、仲間が消える訳でもないけど、自分の中では国家みたいな(大げさか?)ジョグノがなくなり「基盤(枠組み)って大事なんだな」って感じています。

じゃあ基盤乗り換えたら?
って事で何名かの方からお話頂いていますが、タイミングも良いのでココで一旦"ランを前面に出した電子データ化はおしまい"にしようと思います。

■今後1
あれれ?ランやめちゃうの?
いえいえ。それはないですね。40年間続けてる趣味ですし。。。ホームは変わらない(浅川、多摩川、戦車道、高尾etc)ので、走る事は続けますよ。
また、B級企画モノは好物ですので、今以上に関わるつもりです。色々お誘いもするし、してください。使って頂ければ幸甚です。で、呼ばれなくても行くかもです。
その時はよろしくお願いいたします。

■今後2
ご存知かもですが、私の別な側面(ラン同様40年来続く趣味)は記録人(=カメラマン)です。今後そちらの領域に軸足を移す予定です。
まぁ今までも土手でボサーっとカメラ構えて突っ立ってた。あのノリです。カッコ良く言えばスポーツカメラマンかな。

■こんなことないですか?
走ってて「あー今の俺(私)カッコいいなー」なんて思う瞬間。
自分はよくありました。一人で走ってる時は結構しょっちゅうかも^^

でも止まって"スマホで自撮り"ってイマイチなんですよね。ましてや石の上にスマホ置いて、セルフタイマーなんて「練習効果も下がるし、もどかし〜 ありえねー」って感じ。

■活用方法
そんな時は私をお呼び下さい。皆さんのクールなお姿を収める歴史の証人として。いかなる環境下でも登場します。どうぞご遠慮なく。

「かっこいい写真?」
「いやー私には無関係かも」

「いえいえ。これは人ごとではないのですよ」

★★★★★★★★★★
Get the cool shot!!
いつだって君はカッコいい!
★★★★★★★★★★

ではまた違うチャンネルでお会いしましょう!

 

■当面のチャンネル
結構今、マルチに立ち上げてまして…
今のところ以下はお知らせできます。

https://twitter.com/photo_archivist

 

[ 3月31日 12:38 ]

一つの区切りと新たなる旅立ち

この後2ヶ月の間。

がむしゃらに走った。

目標に向かってだ。

人生において3回目かな?多分。

 

■振り返り

1回目:技術士

2008〜2011年まで受験編

2011〜2015年まで技術士会にて

とにかくめちゃくちゃ走った。

源泉?あせり、怒り、楽しさ、可能性追求

 

2回目:ランナーとして

2011(正確にはもっと前から)〜2020年まで

フル→ウルトラ→超ウルトラと…

狂人ほど打ち込んだ。

源泉?楽しさ、ワクワク、ドキドキ、可能性追求

 

■そして現在

3回目

機体の整備が終わりエンジンはかかった。

機長席に座り、すべてのチェックを終え、エプロンを離れ…

滑走路に向かっていよいよ走り始めた。

さあ。間も無く離陸するぞ!

 

説明できないものは全て宗教だ。

 

2020宣言の解説4

もうはや3月。

解説が終わらないまま梅が咲いて桜の季節になろうとしている。

なので久々の解説。

 

今日は#3

主題はケチケチしない。

 

これは最初の宣言(いろいろやるぐるぐる回す)とつながってもいる。

 

端的に言うと、この世は金だ。

金の切れ目は縁の切れ目。衣食足りて礼節を知る。

何でも原資には金が絡むではないか。

 

汚すぎるが当たっていると思う。

最近よく思う。

 

結局ヒトの時間は有効で限りある枠の中で最大限の経験と効果を発揮するにはアイデアと行動力と金なんだと思う。

 

だからケチケチしてはいけない。

飽きると言うこと

興味のベクトルが変わる。

そんな事本当にあるんだな。そう思う。

やってる時、熱中してる時は、まさかそんな事考えてもみなかったのだが。

 

実際本当に起きてしまった。

飽きると言う事が。とうとう。

 

あれほど入れ込んでいたラン。

全く走らず2回の週末が過ぎた。

でも走ろうとも走りたいとも思わない。今。

 

あの時の俺、その時の自分…

からすると夢にも思わないし思わなかった…

 

何故か?

やり方、続け方的に考えると、圧倒的に後者の方が強い。

つまり続ける理由。そして続ける目的。

気づいてしまったのだ。

そして分からなくなったのだ、なぜ走るのか?

 

今はその気持ちだけ残しておこう。

 

大切なもの

あれから2wたった。

あまりにショックすぎて。

あまりに衝撃がデカすぎて。

立ち尽くした。

そして今も立ち尽くす。

 

いや…

これは夢なんだ。絶対夢だ。夢に間違いない。

そう思うことにした。

しばらくは、思うことにしよう。

 

あっちたのむ。

こっちやってくれ。

次はこっちね。

嫌な顔一つせずやってきたんだがな。。

泥水も飲んだし臭い飯も食った。

嫌な奴のケツも拭いたし、色んな奴の靴も舐めた。

 

決して歯向かうことなく。むしろ従う事で生きてきたこの5年間。

 

でもね…都合悪くなったから降りてくれ。

ひどいじゃないか………

海外派遣させられて、色んな国を回されて、最後はそこで死んでくれ。みたいな。俺的にはそんな感じ。俺の祖国はどこだったのか?

 

眠れない日々が続く。

寝ても消えない出来事は心の傷だ。忘れることのない出来事……

 

さて。

本題の大切なものとは?

大半を失った以上、残ったモノは俺の肉体と魂。

自分自身そのものだからこれは大切。

セルフィッシュな言い方をすれば、人は人自分は自分。今回ほど自分以外に期待して、突き落とされたことはない。

だから、自分は大切。自分を見失ったらダメ。

 

もう一つ大切なもの。

寄り添ってくれた人、癒してくれた人。

一番近くにいたのか。これが俺には残ってたのか。

改めて感じる。

捨てる紙あれば拾う神あり。

これほどありがたかった事はない。

死んでも死んでも生き返る義務と理由はここにある。